2009 / 08
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後日、若い女性担当医から手術日などの連絡が入りました。
担当医とは、私の入院、手術の細々したことをお世話してくれる先生です。

手術日は予定より半月ほど早まりましたが
異存はなかったのでお任せしました。

その他日帰りの検査と一泊の検査と
手術日までのスケジュールが決まっていきました。

後でカレンダーに記入すると手術日が仏滅。
まっ、関係ないですかね。

あれ!?検査日も半分以上が仏滅です。
避ける人が多くて空いていたのかしら?
まっ、いいですかね。

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気持ちの良い医師たちに巡り合って嬉しい反面
私の気持ちは複雑でした。

治療法は外科手術しかないと覚悟したものの
K医師かM医師か決められないでいました。

良い医師を天秤にかけている事に罪悪感を感じモヤモヤしていました。
この気持ちのまま二ヶ月・・・辛いです。

ですが意を決して、その夜にK医師にメールをしました。
K医師の病院でもMRIを撮って今一度診断して欲しいと・・

技術もあり、信頼もできる医師達に出会えた事に感謝しつつも
選択する心苦しさでブルーな気分でした。

それでも自分の一生を左右すること。
ここはシビアに選択してもいいんだと自分に言い聞かせました。

『○○医師に執刀してもらいなさい』
夢の中で、そんなお告げがあったなら、どんなにいいでしょう。
誰かがポンと背中を押してくれないかしら・・・
そんな風に思っていました。


翌朝もブルーな気持ちはそのままでしたが
いつものように仕事に行く準備に追われていました。

家の電話が鳴りました。

なんと、K医師からでした。
今朝メールを見て私の揺れ動く気持ちを心配して
電話をしてくれたのです。
朝7時半。お忙しいのに。

お話していて・・
「先生、お願いします。」と頭を下げていました。
途端に
さっきまでモヤモヤとしていた胸のつかえが嘘のように消え
自分でも驚くほどスッキリしていました。

突然の電話にビックリしたけれど、
これが背中ポンではないかと思えました。

もう迷わない。
K先生にお願いしよう。お願いしたい。

時間を割いて診察してくれたM先生をはじめ
心あるM先生スタッフへの申し訳ない気持ちは残りました。
けれど、あの日M先生に会えたから前に進めました。
もしお会い出来ていなかったら、
私はまだ治療法を決められないでいたでしょう。

ありがとう。M先生。
ありがとう、M先生スタッフの方々。



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10時過ぎに放り出された私達は途方にくれました。
夫と二人、会社を休んで来たのです。
これでは全くの無駄足になってしまいます。

目星を付けていた病院に電話をしてみると
予約と紹介状が必要だと言われました。
そりゃそうですね。

もう1つ気になっていた病院があったので
代々木のネットカフェで検索し電話をすると
初診は予約無しでいいと言われ急いで向かい
時間ぎりぎりに受付てもらいました。

この病院のM医師に診てもらいたかったのです。
ガンマナイフのコラボ手術も手がけていたからです。

M医師は予約でいっぱいなので無理ということでした。
最初の問診をしてくれた可愛らしい女性は申し訳なさそうに言います。
けれど、多分この女性が動いてくれたんだと思います。
言葉を運んでくれたんだと思います。

だから診察してくれた先生がおっしゃいました。
「この画像をMが見まして、午後まで待っていただければ
Mが診察しますが・・。」と。

なんて素敵な病院なんでしょう。
なんて素敵なスタッフなんでしょう。
なんて素敵なチームワークなんでしょう。

M医師の診察結果も、同じものでした。
放射線治療の前に外科手術を勧められました。

二ヵ月後にもう一度MRIを撮ることにして帰宅しました。




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放射線科を調べること一週間。
取りあえず、一度診察してもらわないことには始まらないので
最初に紹介状を持って行ったK病院に行くことにしました。
ここでMRIを撮ったし、優秀な病院であることは確かです。

事前にどのようにしたらいいのか病院の受付に電話すると
脳外科医のT医師に言って回してもらうのがスムーズだと言われました。
その通り行くと、T医師には
放射線科に行っても無意味のような事を言われ
挙句に私は仲介人じゃない。とも
私がここで撮ったMRIを持って他の病院に行ったのが
気に入らなかったみたいです。

ここのT医師には最初から言葉に心が感じられませんでした。
手術の話に説得力がありませんでした。
医者のプライドが優先で
患者の気持ちは二の次という印象しか受けられず
ここの病院には別れを告げることにしました。



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二人の医師からそれぞれメールの返事をもらい
翌週、診察に伺うことにしました。

K医師。
的確な説明と自信にあふれた歯切れの良い言葉の数々に
私と夫の気持ちは一気に明るくなりました。
40分近くの時間を費やしてくれ、ありがとうございます。
後の予約患者さんお待たせしてゴメンナサイ。
けれど私は先生の言葉で救われました。
久しぶりに美味しい食事ができました。

名医というのは技術もさることながら
患者の不安を取り除くことができる医者なのではないでしょうか。
K医師は紛れもなく名医だと思います。

すぐにでも執刀をお願いしたいところでしたが
S医師との診療予約があるのでグッと我慢しました。


S医師。
北海道に行ってトンボ帰りしました。
K医師に満足していましたが、
やり残して後悔はしたくありませんでした。
ぜひ会いたい医師だったのです。
診察を最後に回してくれ1時間半もの時間、話をしてくれました。
一緒に悩んでくれました。

症状がほとんどない今、
リスクの高い手術をするのは忍びない。
時間はあるから、多くの医師の話を聞くといい。
放射線専門医の診察も受けてみなさい・・と。
そのうち自分の気持ちが決まってくるから・・と。

ここから一週間、放射線治療の病院を探し始めました。





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8月7日の金曜日に改めて造影剤を入れたMRIを撮り
12日の今日、夫と二人でT医師の診断を聞きに行きました。

前回と大きくは変わらない説明でした。
けれど、この医師の説明でお願いしますとは言い難かったのです。
何故でしょう。
委ねられないのです。
何故でしょう。

「執刀医はY先生です。私も担当医として付きますが・・」

これでした。
執刀医じゃないから手術の説明に説得力がないのです。
真実味もなく誠意も感じませんでした。
何で執刀医から直接の言葉が聞けないのでしょうか。

メールを送った二人の先生の診察を受けようと思っていたので
ここで撮ったMRI画像CDを買うことにしました。



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会社帰り、街を歩きながら自問自答しました。

「思い切り泣いたら、この胸のつかえはスッキリするのかしら。
泣いても現実は何も変わらないね・・・
逆に泣いたら前に進めなくなりそう。
今はより良い方法を探すために動く時だし。
・・・・泣いてる場合じゃないね」

この頃、リスクのことばかり考えて頭がおかしくなりそうでした。
手術か経過観察か・・・患者にその選択させるのは残酷です。
考える時間があるというのも善し悪しだと思いました。

今の精神状態で経過観察なんて耐えられそうにありません・・・
胃潰瘍か鬱病にでもなってしまいそうでした。


そんな時、私の気持ちを救ってくれたのは
S医師のホームページであり
K医師のホームページでした。

早速、お二人にメールを送りました。




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8月5日、紹介状を持ち○大学病院には姉が同行してくれました。

外科医のT医師は
「大きさ的には放射線治療ではなく手術だろう。
手術では取れない部分は後日、放射線治療をする方法が一つ。
もう一つの選択肢として
良性なので数か月経過観察し大きくなっているようなら手術する。
大きくなればリスクは増すが、
今でも充分なリスクだから大した差はないです」

なんとも乱暴な言い方に感じました。

腫瘍は5センチ近く。
大きさも問題ですが、大問題は出来た場所でした。
脳の奥の一番神経が集中している最悪の場所でした。
それは脳幹を押し始め
手術では取れない内ケイ動脈に巻きついていました。

T医師は手術のリスクの説明をコンコンとしました。
聴力、顔面麻痺、目、リスクを挙げたらキリがないと・・・・

7日に造影剤を入れてMRIを撮って
来週また診察してもらうことになったのですが
T医師の話に私は相当凹みました。

付き添ってくれた明るい姉に助けられましたが食欲はありませんでした。
だけど食べなくてはと思い、
病院のスカイレストランでクラブサンドを無理やり口に押し込みました。

この日から一週間位が精神的に一番辛かったです。
いつも胃の入り口に物が詰まっているみたいな感じで
全く食欲がありませんでした。

これには参りました。
食欲がないと夕飯のメニューが全く浮かばないんです。
この頃、一気に2キロダウンしました。


今一度、あの魔法の言葉を呟いてみました。
「子どもたちじゃなくて良かった。私で良かった。」
だけど、この言葉にも限界がありました。

「・・・・・・私だって辛い・・」



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会社帰り、脳のMRIの写真を取りに出掛けました。
まだ何処の病院を紹介してもうらおうかと迷っていました。

先生に質問してみたんです。
「もし私が先生の親だとしたら何処の病院を薦めますか?」と。

「この症例でしたら・・・・難しい手術になると思います。
横浜は幸い首都圏に近いので、東京の○大学病院を薦めます」と言われました。

最寄駅から1時間で行けます。
そこにお願いすることにしました。

先生の後ろに立つ看護士さんの妙な笑顔が
私への同情の作り笑顔なのではないかと思えて
自分の病状の重さを意識しました。

後から思えば、
この時の感は間違っていなかったみたいですが。


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脳ドッグの結果に異常はないだろうと
かなり軽い気持ちで聞きに行きました。

先生の「○○は正常です」
「○○は正常です」
その○○の後の『は』に違和感を感じた頃、先生は言ったのです。

「一つ問題がありまして・・・ここに良性の腫瘍があります
10人の医師がいたら8人は手術を勧める症例だと思います」と
サラッと言われました。

その時、浮かんだことは
「何日くらいの入院なんだろ。仕事休む事になるなあ」という思いでした。
で、口をついて出た言葉が
「頭は全部剃るんですか?」でした。
後から考えれば、かなり間抜けです。
問題はもっと大きいのですから。

専門医の受診をすすめられ
「どこの病院でも紹介状を書くので考えてきてください。
 脳の写真の現像は月曜日以降に出来ますから。」

月曜日の会社帰りに寄ります。と病院を後にしました。
私は割と元気でした。
あまりにも先生がサラッとおっしゃったので
手術で簡単に治るような気がしていたのかも知れません。

夜、ネットで調べていくうちに
事の重大さをジワジワと実感していきました。

入院に一か月、自宅療養に一か月。
耳の障害、めまい、目の障害、顔面麻痺など後遺症の心配。
傷の大きさ・・・

良性らしいが脳腫瘍です。大手術です。脳は精密機械です。
仕事復帰の時期を心配している次元じゃないのかも知れないと思いました。

それでも段々ブルーになっていく気持ちを切り替えられたのは
この思いです

「子供たちに起きたことじゃなくて良かった。その方が辛い。私で良かった。」

自分で良かった→良かったんだ→良かった良かった。
暫くはこれが納得するための魔法の言葉になりました。

軽い気持ちで受けた脳ドッグで発見できたのはラッキーなこと。
このラッキーを生かさねば





se-ra

Author:se-ra
50代。
電話で聞き取りが悪くなるも耳鼻科では異常なし。
たまたま受けた脳ドッグで脳腫瘍が発見されました。
5センチ近くの巨大な腫瘍は、神経が集中する奥深い場所で錐体斜台髄膜腫と診断されました。

8月末までは思い出しながら 日にちを追って書きました。 9月からは事あるごとに 書いていますが、 入院後の事は退院後に少しずつ更新の予定です。
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